読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

震災、私にできること。

熊本での地震、1週間たった今も揺れ続け、不安な日々を過ごされている方も多くいらっしゃると思うと胸がいたみます。

私なりに何ができるだろうと考える時、中越の震災でのことを思い出します。
その時私は関西にいたので被災はしなかったのですが、友人が何人か被災しました。
幸い、本人もご家族も怪我はされず、家もなんとか住めるということで安心しましたが、水道ガス電気は全滅とのこと。

「必要なものをリストアップしてくれれば、集められるだけ集めて送るよ」
と声をかけたら、友人からは意外な答えが。

「それはすごくありがたいんだけど、どこかの団体に募金でもしてくれたら、そこからまとまった物質が届くから、少しでも募金をしてほしい」

彼はとても聡い人だったので、自分のことだけでなく、被災地全体のことを考えていたのでしょう。
そうでなくともパニック状態なのに、個人で支援物資を送れば、きっと現場はパンクしてしまう。
さらに言えば、個人の支援物資など数が知れて、全体に行き渡ることはないでしょう。
中途半端な数の支援物資を個人が送るより、どこかしらの団体にまとまった数の支援物資を送ってもらう方が格段に効率がいいはず。

さらに彼はこうも言いました。
「支援は今すぐ必要だけれども、今だけ必要なのではない。長いスパンで支援が必要になる。だから、これからコンビニやスーパーのレジで募金箱を見かけたら、お釣りのほんの一部でいいから入れてほしい。大事なのは、いつまでも忘れないこと。」

テレビで頻繁に被災地の様子が報道されている間は、誰もが気にかけて手厚い支援をしようとする。
けれど、時が経てば少しずつ報道も減り、少しずつ関心も薄れていってしまう。
でも復興にだって支援は必要だし、それこそ
いくらだってお金が必要になってくる。
彼はそこまで見越して、そう言ったんだと思います。

彼の言葉を受けて、コンビニなどでお釣りがあれば、少しですが募金箱に入れるようになりました。
まわりまわって、彼の役に立ってくれればいいと。

残念ながら、中越地震から数年後、彼は他界してしまいましたが、震災の報道を目にするたび、彼の言葉を思い出します。

何も自分の生活がままならなくなるほどの支援はしなくてもいい。
自分ができることを、無理のないペースで、いつまでも。

私には多額の義援金を送ることも、ボランティアに駆けつけることもできません。
熊本産のものを積極的に買う、募金箱を見かけたら少しだけ募金をする。
些細なことですが、いつまでも続ける。

それが、私なりの支援と思っています。